自分自身のことをふりかえる。その1
幼少期
幼稚園の時に、自分で作ったものをクラスのみんなに見せるのが怖くて恥ずかしくて泣いた記憶が一番最初です。
ごっこ遊びってありますよね。
普通はセリフを考えながら進行するものだと思いますが、
幼稚園児の頃は、セリフを相手の女の子に全て指定され、それをおうむ返ししながら進んでいく感じの、
今思えば結構異様なごっこ遊びをしていました。
(セリフを自発的に考えないごっこ遊びって遊びでもなんでもないのでは?と言うか支配なのでは?)
相手の女の子も家庭に問題があったので、支配するほうに性格が向いてしまったのを私で発散していたのだと思います。みんなつらい。
余裕がなく、常に受け身な幼少期でした。
あ。小学校からはいじめもありました。男の子に囲まれて暴力を振るわれたりとか。(子供はやんちゃだから仕方ない)
両親のいない男の子に好かれてしまい、友達に相談したら縁を切れと言われたので縁を切ったら暴力を振るわれるようになったりとか。
(彼にはさみしい思いをさせましたね)
ちょっとこの時期は色々ありすぎて、、、
中学と高校
色々ありすぎた後遺症で人の笑い声が怖くなり、中学の頃は廊下で笑い声が聞こえるとよく逃げ出していました。
中学高校の頃の友人のひとりは、日々の鬱屈を空想と猟奇小説を書くことで発散していた女の子でした。
厨二病と表現するべきなのか、良きクリエイターと表現するべきなのか、少し言葉に迷います。
彼女がクラスの人に暴力を振るった時は(おそらく彼女自身にとっては暴力だという自覚もない)、代わりに私が謝っていました。
ただ、彼女を通じて知ったサブカルチャーや音楽も多かったです。
勉強は嫌いじゃなかった
人に唯一褒められたからなのか、親から勉強を強制されなかったからなのか、学ぶことは嫌いではありませんでした。
ただ、上には上がいることも十分わかっていました。
私は常に音楽を聴きながら勉強していたので、だいぶ効率が下がっていたのではないかと思います。
音楽も嫌いじゃなかった
もともとは、親の罵声や街の喧騒をシャットアウトするために音楽に逃げていたようなものなのですが、
聞いているうちに好きな音楽の傾向が見えてきたり、分析できるようになり、
そこからは夢中になって、図書館やTSUTAYAでCDを片っ端から借りまくりました。
私は絶対音感があったようで、
自覚をしたのは、幼稚園の卒園式で流れていたG線上のアリアが音名で聴こえた時です。
今でも大変助かっています。趣味や仕事で。
家庭のこと
両親は、依存症とまではいきませんが、休日や平日の夜に遅くまでパチンコに行く生活をしていました。
たまに学校から帰ると家の鍵が開いておらず、鍵をもらうために両親を探しにパチンコ店まで行ったのをよく覚えています。
両親にとっては、遊ばないとやってられない、というやつですね。
その頃からパチンコ=とても騒がしいもの、タバコの臭いがするもの、というイメージがつき、今でも良いイメージはありません。
親がいない時間には一人で本を読んだり勉強したり遊んだりできていたので、ある意味自由でした。
ただ家族の団欒は何もなかったです。優しいお母さんなんて空想の産物だと思っていました。
その反動なのかはわかりませんが、私自身は優しい人に憧れ、優しい雰囲気を持った人になろうとしました。
ギャンブルはせず、静かな家に住み、心地よい服を着て穏やかに暮らすことをずっと考えています。
一旦ここで区切ります。